今日の散歩路

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≪R社-8≫「リクルート事件」報道

 
「リクルート事件」は新聞やテレビで毎日に渡り報道されただけではなく、雑誌や単行本の出版も多く、メモによると私は次のような雑誌を購入しました。

リクルート疑惑(著者 室伏 哲郎)
リクルート事件に「終結」はない(久慈 力)
リクルート事件の全構図(高野 孟・歳川 隆雄)
リクルート疑惑の構造(佐高 信)
リクルート報道(朝日新聞報道局)

等を始め、私が購入した物は28冊でしたが、その数倍も発行されたはずで「リクルート」を付ければ売れたようです。

その後、「佐川事件」「証券損失補填事件」「ゼネコン汚職事件」など、大きな事件が明るみになりましたが、「リクルート事件」のような出版物は見られなかったようです。

その後、新聞社はリクルートが発行していた「住宅情報」「とらばーゆ」「ハウジング」等の広告を載せなくなったようです。

リクルートと新聞は広告扱いの競合会社のため、仕方ないことだったかも知れません。



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≪R社-7≫「リクルート事件」の始まり

 
「リクルート事件」は昭和62年6月に川崎市の再開発に伴い、同市の助役に対して「コスモス株」を譲渡したという朝日新聞の報道から始まりました。

当時は「ニュースになっているな・・」の軽い気持ちでしたが、翌日からは新聞、テレビ、週刊誌で報道されましたが、常にトップニュースで伝えられました。

株を配った相手は政界、与野党幹部、高官、財界、学者、報道関係者に亘り未公開株を渡し、各自が1億円ぐらいの譲渡益を得たので「濡れ手に粟」とも揶揄されました。

問題の会社は、当時は「(株)リクルートコスモス」で主に関東や関西でマンション開発会を行い店頭公開されましたが、事件の終息後に大和ハウスへ譲渡されました。


 

≪R社-6≫社訓

 
私は『リクルート事件』を挟み20年間ほど在籍しましたが、特別な差別を感じることはありませんでした。

リクルートは、東大を始め国公立や有名私立大学の卒業者が多く、誰が、どの学校を卒業したかは入社時の広報誌で知らされる程度で、古い社員がどこの出身大学かは噂で耳に入る程度でした。

したがって、我々のような現業職も給与や賞与以外の格差は感じなかったのです。
また、失敗しても「減点」するのではなく、「加点主義」だったと思います。

当時の社訓は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」で、全員に次のようなプレートが配布され机に置いたものです。

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≪R社-5≫社内論文

 
リクルートには通称「正月論文」があり、正月休みに書いて提出する制度があり、我々のような建物管理に従事する者も参加することが出来ました。

ある年の正月休みに仕事の改革らついて考えを仕上げ提出したら、何と、第二席になりましたが当年は第一席なしのため皆から事実上の一席と言われましたが、作品は大したないようではありませんでしたが、「君たちも頑張れ!!」の励ましと思いました。

当時の本社から歩いて15分の、有楽町にある「日本外国特派員協会」を借り、表彰式が行われたと記憶しております。
なお、この会場は時の人物が記者会見を行う場所でもあり、最近は話題の籠池氏の会見が行われました。

なお、表彰式では「表彰状」「副賞・置時計」「賞金10万円」を頂戴しました。

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論文集

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副賞
 

≪R社-4≫多い社内用語

 
どこの会社でも社内の共通語があると思われますが、次のようにリクルートは特別多かったような気がします。
当時の社内用語の一部を紹介します。

R社(リクルート)
RB(リクルートブック)
RSB(リクルート進学ブック)

T職(取締役)
A職(アルバイター)

G8(銀座8丁目ビル) ※現在も登記上の本社所在地?
G7(銀座7丁目ビル) ※某有名会社の危機により譲渡をうけた
Sビル(新橋ビル) ※私が入社した当時の本社ビル)

RC(リクルートコスモス) ※リクルート事件は、この会社の株式公開から
FF(ファーストファイナンス) ※一般には知られていないが、RC社の次にFF社の公開が予定されていた


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