今日の散歩路

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≪R社-9≫社内の動揺

 
昭和63年(1988)に朝日新聞が最初に報じた「リクルート事件」は、その13年後に有罪判決があり、過熱気味の報道も終わりをみせたようです。

報道から数年間の報道は連日連夜に渡って行われ、当時、就職した新人も親から辞めるように説得された人もおり、又、営業マンの苦労も大変だったようです。

当時のリクルートは未公開会社で「社員持ち株会」がありましたが、会社が潰れる懸念で多数の人が株を手放しそうです。

私も帰郷すれば兄弟から状況を聞かれるし、友人に会えば説明を求められるため、一時的に「人間不信」になり休日には愛犬を連れ静かな公園に退避した記憶があります。

現在でも企業や政治の分野でも色々な問題がありますが、あれだけ長期に亘り騒がれた「事件」は無かったと思います。


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≪R社-8≫「リクルート事件」報道

 
「リクルート事件」は新聞やテレビで毎日に渡り報道されただけではなく、雑誌や単行本の出版も多く、メモによると私は次のような雑誌を購入しました。

リクルート疑惑(著者 室伏 哲郎)
リクルート事件に「終結」はない(久慈 力)
リクルート事件の全構図(高野 孟・歳川 隆雄)
リクルート疑惑の構造(佐高 信)
リクルート報道(朝日新聞報道局)

等を始め、私が購入した物は28冊でしたが、その数倍も発行されたはずで「リクルート」を付ければ売れたようです。

その後、「佐川事件」「証券損失補填事件」「ゼネコン汚職事件」など、大きな事件が明るみになりましたが、「リクルート事件」のような出版物は見られなかったようです。

その後、新聞社はリクルートが発行していた「住宅情報」「とらばーゆ」「ハウジング」等の広告を載せなくなったようです。

リクルートと新聞は広告扱いの競合会社のため、仕方ないことだったかも知れません。



 

≪R社-7≫「リクルート事件」の始まり

 
「リクルート事件」は昭和62年6月に川崎市の再開発に伴い、同市の助役に対して「コスモス株」を譲渡したという朝日新聞の報道から始まりました。

当時は「ニュースになっているな・・」の軽い気持ちでしたが、翌日からは新聞、テレビ、週刊誌で報道されましたが、常にトップニュースで伝えられました。

株を配った相手は政界、与野党幹部、高官、財界、学者、報道関係者に亘り未公開株を渡し、各自が1億円ぐらいの譲渡益を得たので「濡れ手に粟」とも揶揄されました。

問題の会社は、当時は「(株)リクルートコスモス」で主に関東や関西でマンション開発会を行い店頭公開されましたが、事件の終息後に大和ハウスへ譲渡されました。


 

≪R社-6≫社訓

 
私は『リクルート事件』を挟み20年間ほど在籍しましたが、特別な差別を感じることはありませんでした。

リクルートは、東大を始め国公立や有名私立大学の卒業者が多く、誰が、どの学校を卒業したかは入社時の広報誌で知らされる程度で、古い社員がどこの出身大学かは噂で耳に入る程度でした。

したがって、我々のような現業職も給与や賞与以外の格差は感じなかったのです。
また、失敗しても「減点」するのではなく、「加点主義」だったと思います。

当時の社訓は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」で、全員に次のようなプレートが配布され机に置いたものです。

v6010545[1]



 

≪R社-5≫社内論文

 
リクルートには通称「正月論文」があり、正月休みに書いて提出する制度があり、我々のような建物管理に従事する者も参加することが出来ました。

ある年の正月休みに仕事の改革らついて考えを仕上げ提出したら、何と、第二席になりましたが当年は第一席なしのため皆から事実上の一席と言われましたが、作品は大したないようではありませんでしたが、「君たちも頑張れ!!」の励ましと思いました。

当時の本社から歩いて15分の、有楽町にある「日本外国特派員協会」を借り、表彰式が行われたと記憶しております。
なお、この会場は時の人物が記者会見を行う場所でもあり、最近は話題の籠池氏の会見が行われました。

なお、表彰式では「表彰状」「副賞・置時計」「賞金10万円」を頂戴しました。

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論文集

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副賞
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