今日の散歩路

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大口病院事件&相模原障害者施設事件

 
横浜市の大口病院4階での入院患者に対して点滴に消毒液が混入されていた事件は内部犯行としか考えられず、この文章は予約投稿のためアップされる迄には犯人が逮捕されているかも知れません。

4階病棟は院長のコメントのように特殊な場所のようで、ホームページによると療養病棟(43床)で、他に一般病棟(42床)があります。

高齢者でも一般の病院の入院は3ケ月が限度で、それ以上になると病院の利益が無くなることになるため退院するか他の病院に移されます。

その移送先として大口病院4階のような「療養病床」があり、医療保険が適用される「医療型療養病床」と、介護保険が適用される「介護型療養病床」とがあります。
なお、介護型療養病床は2020年には廃止され、介護老人保健施設(老健)等に変更されるようです。

過去に色々な問題や短期間に多くの死亡者があったにも関わらず警察への届を怠ったことは、特殊な入院患者のため問題意識が薄かったなら大変なことです。

なお、この問題が報道されたときは、以前に発生した相模原障害者施設での殺傷事件と類似していると感じました。
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④頂く「新米5kg×2」

 
最近、頂戴したもので最高の物は新米5kを二袋でした。

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これはJAの野菜直売所のポイント交換品です。
数年前からのポイントで何に交換できるのか聞きこともしないと、先方から交換の案内がありました。

新米のコシヒカリが二袋で、計3,200円分でポイント残高が1ポイントだけになりました。
 

③頂く 「セレクター」

 
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これは、NTTのポイントによる頂戴したセレクターで、テレビや画面に映すテレビゲームやホームビデオを切り換える代物です。

欲しくもない物でしたが何かに変えないとポイントが無効になってしまうので、仕方なく取り寄せました。

以前は5005円の図書券と交換が可能でしたが現在は無く、欲しい物はポイントが多く必要なのです。
 

②頂く「ランタン」

 
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単四電池を入れて使う「ランタン」は、某大型家電量販店から頂戴しましたが、使う間もなく孫が「欲しい」といったので渡してやりました。
 

①頂く 敬老のお菓子

 
話は古くなりますが、「敬老の日」の前日にマンションの管理組合からお菓子を頂戴しました。

s-DSCF8037 戴く

確か、70歳以上の入居者に配られており、10数年前に入居が開始したころの対象者はゼロでしたが、当マンションも少しずつ高齢化になっているようです。
 

「地下空間」ドラマを推理する

 
豊洲新市場の「闇」を推理すると、実に面白いことが見えてきます。

有識者から「盛り土」の進言があったにも関わらず「コンクリートの箱」にしたのは正規の会議で決めて進んだのではなく、当時の知事の「呟き」から始まったと推定されます。

従って、世間を始め多くの都職員は「盛り土」の計画が実行されていると思い続けても一部の職員たちは「呟き」の結果により「コンクリートの箱」構想をドンドンと進め現在になってバレバレの事態になり、「コンクリートの箱」を造った言い訳を「後付」で言い訳している始末かと思います。

独裁者は「白い物でも黒といったら黒」のように、独裁知事が「コンクリートの箱」といったら「盛り土」でもなく「正規の建築物」でもなく、「コンクリートの箱」を設計して造るより仕方なかったのかも知れません。

設計会社も独裁者の意に反すれば亡国のように絞首刑はないにしても、美味しい仕事が無くなってしまう恐れがあり、都幹部も保身のために「右に習え」になったのでしょう。

それでは、元知事は「なぜ、コンクリートの箱」にこだわったのか」が最大の謎で、これを知ることが問題の解決になるといっても過言ではありません。

豊洲に新市場を造る以前に「新東京銀行」が問題になり「I原銀行」と揶揄され、1,400億円もの血税をドブに捨てたことにより何としても豊洲の新市場は安く上げるために、素人なりに思いついたのが「コンクリートの箱」と指摘する評論家も少なくありません。

「新東京銀行」の後始末に使った金と「コンクリートの箱」は切っても切れず、「安全」は二の次で最初から最後まで「辻褄合わせ」に奔走している物件のようです。
特に「汚染があったら重機で・・・」は、今世紀最大の辻褄合わせでしょう。

昨日のテレビでも話題になっておりましたが床面のフタは、重機を入れる場所ではなく、「コンクリートの箱」に施工した配管やダクトやポンプ等の改修工事の際に使用するスペースで、大きなビル等には必ず施工されており、ここでも辻褄合わせを行っているため混乱しているのでしょう。

当時の知事は3期で約1億5000万円の退職金を手にし、他の幹部職員も3000万円は下らないだろうと言われており、工事費の返還要求の訴訟になっても可笑しくない事例かも知れません。

素人目で考えると「盛り土」ではなく地下20mぐらい掘って汚染土を除去してしまい、5階ぐらいの地下駐車場を造り、上部は高層階マンションにして、販売か賃貸にすれば新東京銀行の負債も少しは解消したはずです。

安く出来ると思って「呟いた」一言が、とんでもないことになり騒ぎもこれからが本格的になるでしょう。

最後になりますが、以上の文章で出てくる「知事の名前」は誰でしょうか?
皆さんも推理してみてください。(苦笑)
 

中途半端な「コンクリートの箱」

 
小池都知事もリオから帰り、豊洲市場の問題はマスコミも今まで以上に大きく取り上げられるようになりました。

素人目で考えてもベンゼン等で汚染された土壌を「盛り土」により危険を避けるか、しっかりしたコンクリートで地階を造っても良かったはずですが、「コンクリートの箱」という中途半端な施工が問題となり、日本中の話題になっているものと思われます。

「なぜ、コンクリートの箱になったのか」は、連日のテレビ放送を観ていれば察しがつきますが、その前に「建物の地下はどのような構造になっているのか」をおさらいしたいと思います。

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①建物と地面の間をGL(グランドレベル)と呼ばれ、GLより下に地階が造られます。
②地階から上階に向けてコンクリート壁で施工されますが、地階には必ずコンクリート壁を通過し地下水が侵入します。
③地階は内側に二重壁を施工し、地階の下には湧水を溜める湧水槽が設けられます。(黄色い部分)
④溜まった湧水を溜めるピットを施工し、通常の湧水の場合はポンプアップで公共下水へ排出します。(赤い部分)
⑤地階の内壁と天井には保温材を施工し、結露等を防ぎます。
⑥ビルも地下街も地下パーキングも、同じようなイメージで施工されます。

以上が地階の簡単な説明ですが、「コンクリートの箱」は中途半端な施工であることが解るはずです。
 

伊勢湾台風物語⑥

 
台風被害が少なかったことは中心地から離れていたことですが、2ケ月も浸水が続いたことで大変な年となりました。

当地は海岸線から14km離れておりますが高潮により海水が入ったことや、8km先の二級河川の堤防の決壊で浸水し、堤防の閉め切り後にポンプで排水作業が行われても低地のため徐々に徐々に水が引いたことになります。
なお、現在は堤防も嵩上げされ河川も整備され、強力な排水ポンプが設置されたようです。

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最後の仮締切り完了(ネットより引用)

当時は決められた避難所や救援物資、ボランティア等はほとんどなく、復旧作業も「自力更生」でした。

従って、地域に散らかったゴミや田畑に沈殿した台風の残骸やドロは、それぞれの農家が片付けたのです。
又、田には塩水が入ったため数年にわたり満足なコメが作れなかったそうです。

伊勢湾台風後は日本の経済の発展に比例し、当時とは比べられないほどの住宅が建てられました。
昔は田んぼが降雨時の一時的な貯水池の役目が、宅地造成により現在は貯水能力も少なくなってきました。

今回の16号台風は伊勢湾台風に次ぐ大きな台風で、特に雨が多く市の警報の発表と解除は10回以上になっていたとメールで知りました。
ニュースでも、これからの台風は巨大化すると発表していました。

当方は大雨が続いても土砂崩れや洪水の被害は考えられなくても、長期に亘る浸水が続くことは今後も考えられるため、戸建住宅に見切りをつけマンションへ引っ越した理由は災害を考えた結果でもあります。
お蔭で現在は地震があっても台風がきても、大雨が降っても以前のような心配は不要となりました。

伊勢湾台風後も各地で大きな災害が発生しておりますが何時の場合でも「備えあれば憂いなし」で、「まさか、災害が起きるとは、」は死語にしないといけません。(完)
 

伊勢湾台風物語⑤

 
会社に戻ると懐かしい顔が一杯で、2ケ月に渡る空白も一瞬のうちに解消したのです。

会社では各地から送られてきた「救援物資」の配給がありましたが、薄汚れた汗臭い衣類や、何故か戦争中に出征兵士に送られた日章旗の寄せ書きまで入っていたことには驚きました。

使えそうな物資は先輩たちが独占し、我々は「物資ゴミ」を片付ける役目となりましたが、当時としては当たり前の事だったのでしょう。

要の道路であった「国道1号線」は2ケ月以上も水没し復旧が急がれましたが、低地で水が引かないため「ドラム缶工法」といって道路の両端にドラム缶を並べ中に土を入れ舗装し、従来からドラム缶の高さだけアップさせることで道路の使用が確保されました。
そのため、全国からドラム缶が集められたので品不足が続いたそうです。

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一号線のドラム缶工法(ネットより引用)

その結果、道路の周囲の建物は道路より低くなり出入りも大変だったようですが、その後、出入り口も改修され周囲の建物も立て直されたので、現在では痕跡は全くなく「ドラム缶工法」が施された道路であることを知る人も少なくなりました。

又、現在は伊勢神宮へ出かける場合は近鉄線で名古屋から直通で行けますが、伊勢湾台風前は「伊勢中川」の駅で乗り換えたのです。
理由は名古屋~中川間の鉄道は狭軌で伊勢方面は広軌のためでしたが、伊勢湾台風直後に全線を広軌に変更したお蔭で直通になったこともあります。
 

伊勢湾台風物語④

 
驚いたことは、台風から3日後に下宿先から200mほど離れた広場に自衛隊の風呂が設営されたことですが、おそらく行政の縦割りによる出動というより自衛隊が水没していない地域を選んでやってきたのでしょう。

浸水が始まると土地の高低が一目瞭然で、下宿先付近は少し高かったので初めのうちは浸水を免れており、自衛隊が出動した風呂に入ったことを記憶しています。

その後は食べるものも無くなり、2~3日後には下宿先付近も浸水する話が伝わり、旧堤防の後に造られた道路を運行中の駅まで何キロも歩き実家へ帰ることにしました。
数日後には下宿先も浸水し、潮の満ち引きの関係で床下や床上浸水になったことを後に聞きました。

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浸水した地域(ネットより引用)

帰郷しても何もやることが無いので台風で少し被害を受けた親戚の家に手伝いに行き、その家で住むことになり叔母が務めている会社に面接と健康診断を受けて就職してしまいました。

就職して1ケ月後に実家から手紙が送られ、同封されていた被災した会社から仕事を再開する旨のハガキを見たら同じ釜の飯を食った仲間が懐かしくなり、就職した会社や親戚に事情を話し家へ帰り荷物を整理し被災した会社に向かいました。

もし、再就職した会社に居続けたら、今とは全く人生を歩んだことになります。
 

伊勢湾台風物語③

 
台風の翌日は静かな朝を迎えましたが、道路や付近の田畑には瓦や破損した物が散乱し、手が付けられないほどの荒れようでした。

下宿先の主人は小学校の教頭先生だったので、バイクに乗って学校へ出かけ昼前には帰ってきましたが、荷台には素手で捕まえたという大きな魚が数匹積まれており、下宿生たちが料理し皆で御馳走になりました。

下宿先の主人の話によると二級河川や海岸線の堤防が決壊したらしく、こちらも間もなく浸水することを聞き、数百m先の線路付近へ行ってみると徐々に水が向かってくるのが解りました。

当時は現在のような「指定避難先」「緊急物資」「ボランティア」などとは無縁で、当初は多くの人々は各自の2階へ避難し、食料が尽きると学校等の2階で生活を続けたそうですが、私は台風の数日後には実家へ帰ったのです。

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避難先にはボートで(ネットより引用)

学校へ避難した若い夫婦たちは「家の整理」の名目で定期的に帰ったそうですが、翌年には「台風ベビー」が多かったという逸話もありました。
 

伊勢湾台風物語②

 
伊勢湾台風が来襲した昭和34年(1959)9月26日は天気が良くで、9月末は珍しく気温も高かったと記憶しています。

数日前に発生した台風は9月26日の朝には紀伊半島の潮岬に上陸し大型になる予測が予測されたので会社は午前中で終え、早く帰宅するようにと指示がありました。

夜が更けるにしたがって台風の接近が感じられ地域は停電になり、当時は携帯もなく肌で感じるしかありませんでした。

当時は江戸時代の旅籠であった家に下宿しており、家主と数人の下宿生がローソクの灯かりを頼りに大黒柱付近に集まり台風が去るのを待ちました。

柱も梁も立派な家で下宿生が「倒れないか?」と呟くと主人は、「バカ言え、この家が倒れたら地域の家は全滅だぞ」と言われ納得した記憶があります。

夜半を過ぎた頃には風も収まりましたが、翌日は地域が一変し大変状況となりました。

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台風後(ネットより引用)
 

伊勢湾台風物語①

 
阪神・神戸の震災や東北地震、そして熊本地震が発生し、8月から9月にかけて台風や降雨による大きな災害が発生しております。

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伊勢湾台風の進路(ネットから引用)

しかし、今から57年ほど前の昭和34年(1959)9月26日に上陸した伊勢湾台風(昭和34年台風 15号)は、死者・行方不明者が5,000人以上の犠牲者出し、戦後、最大の自然災害であったと思います。

当時は、災害の中心地になった場所からは離れた所におりましたが、それでも2ケ月余り床下・床上浸水となったので、昔の堤防沿いの道路を数時間も歩いて駅から電車に乗り実家へ帰りました。

当時は各家庭にテレビも無かった時代で正確な情報も伝わらず、あまりにも酷い災害のため何人かの友人などは、「もう死んでしまった」と親が諦めていたと聞いたことがあります。

伊勢湾台風は、最低気圧 895hpaで最大風速 75mもの巨大で、大潮と重なり高潮により海岸線の防波堤の欠損が被害を大きくしたようです。

また、一級河川は大丈夫でも二級河川や中小の川の堤防が決壊し、大潮と重なり被害が拡大しました。

(一週間ぐらいの予定で続けます。)
 

お世話になっています。

 
今日は、
いつも、お世話になっています。

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「東京」って凄い!!

 
地方に住む者にとって、日本の首都・東京って凄いと思いませんか?

豊洲新市場は当初の決定から勝手に提言を変更し、盛り土を止めて空間を造ることなどが出来るのは東京都の幹部ぐらいでしょう。

有名な豊洲市場

これら後々に解る事を変更するのは大変な「勇気」と思われますが、未来永劫にわたり誤魔化せる事より都民は自分たちに従う者という感覚が凄いと思います。

代々、「毎日、登庁しなかったり」、「カバンに入らないほどの怪しい金を貰ったり」、「衣食住を税金で賄ったり」した知事が続いたので、都幹部たちが「自分たちが知事の代わりに」の思いを強くした行動になったのかも知れません。

豊洲新市場の設計から工事に携わる人々は数千人の規模と思われますが、地下が空間に変更されたことが漏れてこなかった事は不思議で、又、127名もの都議が気づかなかったのも可笑しな話です。

これらは、何代にもわたって選ばれたユニーク過ぎる都知事と、他の県から比べると途轍もない大きなサイフを持っている事が要因ではないかと個人的に思っています。
 

掛け時計

 
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一見、普通そうに見えるこの掛け時計は、ある店舗のイベントで5,000円以上買い物をすることで頂戴しました。

ネットで、この時計を調べたら「希望小売価格1,356円」が「小売価格399円」という代物で、「MADE IN CHINA」製品でした。
 

屋外階段の手すり

 
2000年の建築基準法の改正で屋外階段にも手すりの設置が必要になったようですが、当マンションは改正以前に建てられたため、手すりは屋内階段だけでした。

今回、4ケ所の屋外階段に手すりが取り付けられました。

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壁からの取付けはステンレスのボルトで固定し、アルミ材の手すりを取付け、塩化ビニール系の物質でカバーが付けられています。

暑い時期は階段を上ることは控えておりましたが涼しくなったことと、手すりの中ほどを握り弾みをつけて進むと今までより楽に上ることができ、これからは階段を使うことが増えそうです。
 

伸び縮みするマンション

 
普通に考えても物質は温度が低いと縮み、高くなると伸びることは常識の範囲です。

コンクリートも伸縮し、1mのコンクリートは10℃の温度変化があれば0.1mm伸縮するそうです。

当地では、夏と冬との気温差は最高で40℃ぐらいかと思われます。
当マンションは長い一棟の横幅は約130mあり、中ほどにエキスパンション・ジョイント部分があるため、半分の65mと仮定し計算すると暑いときと寒いときの伸縮は計算上では26mmになります。

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全体では52mmも伸縮する計算となります。
 

火災保険等の見直し

 
火災保険は最初に加入すると、それ以降は継続となり必要に応じて見直しも必要です。
マンションと戸建て住宅では環境が異なるため、保険の内容も異なるかと思われます。

この間、保険会社へ出向き、契約内容を再確認をして来ました。
その結果、次のような内容で問題になる個所はありませんでしたが、掛け金が何故か月払いになっていたため年払いに変更しました。

○火災保険
 共用部分は管理組合が契約のため、専有部分が対象の保険です。

○家財保険
 家族共通や同居者の家財が対象の保険です。

○地震保険
 地震で専有部分の損害や、火災・家財の損害が対象の保険です。

○個人賠償責任特約
 例えば水漏れで階下などに損害を与えた場合の保険です。
 ネットで検索したら洗濯機の蛇口が外れ多くの階下の住戸が水浸しになり、総額1,000万円を請求された事例がありました。

○類焼損害特約
 自宅から出火し他家に類焼した場合は法的に保障の責任はなくても、保険に加入し損害補償を行います。

 なお、「風水害特約」は地域的に土砂崩れは皆無で、浸水は考えられても1階以外は必要ないと考え無契約です。
 

「ヒデキ!! 還暦!!」

 
この間のフジテレビ系「とくダネ!」で、西條秀樹氏がハワイへ家族旅行の放送を観た人もあったかと思います。
彼は還暦を過ぎましたが子供さんは、まだ小さいようです。

西條氏は二度も脳梗塞を発症し、一時は声も出ず歩行も困難になるほどの状態になりましたが、現在はリハビリのお蔭で歌手仲間とコンサートを行うほどに回復しているそうです。

小生は「真性多血症」ですが、西條氏は喫煙が原因と思われる「二次性多血症」から脳梗塞を発症したと言われております。

二次性多血症と診断されていたにもかかわらず「ヘビースモーカー」「サウナ好き」「ラーメン好き(塩分)」が要因で公演先の済州島で脳梗塞になったようで、血管障害者にとってはサウナなどの利用は自殺行為と指摘する専門家もいるほどです。

自分で努力しても病の発症や治癒が困難な場合もありますが、生活習慣により発病し病気が重症化することは避けられるため、日常における注意が必要であることは他人の状況を教訓にすることも必要なことかと思われます。

 

「真性多血症」その後、そして・・・

 

過去に明らかにしたように、小生は5万人に一人しか発症しないと言われている「真性多血症」患者です。

この病に侵されるとは血液の異常で赤血球や血小板等が増加し、頭痛・高血圧症・めまい・かゆみ・脾臓の腫れ等から症状が悪化すると心筋梗塞や脳梗塞になり、場合によっては白血病に転化することもあるそうです。

治療を怠ると寿命は18ケ月で、治療を続けても合併症が併発する場合があるようですが、小生は罹病後35年となり高血圧症以外は他の症状はなく、今のところ少し良くなりつつあります。

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最近の検査では「血小板」が基準値より高いだけで、白血球も基準内に収まっております。

最近、高価ですが真性多血症の治療薬として認可された薬もありますが、私の場合は当初は「瀉血」といって400ccほど血液を抜いて捨てるだけで、10数年前から白血病の治療薬である「ハイドレア」が使用できたことで現在に至っているのでしょう。

しかし、ほとんどアルコールは飲まなくても「γ-GTP」の数値が高く、多くの薬を服用しても副作用が現れない反面、肝臓に負担をかけているようで、今月中にはCT検査を行う予定です。

そして、私から皆様への訴えです。
私の人生経験では40歳代までは、多少の身体の不調があっても無理の利く年代でしたが、幸か不幸か「真性多血症」という未知の病に罹ったお蔭で、少しだけ生き方を変えてみました。

比較的に若い時代は無理をしても感じず、身体は限界に近づいており内々に悲鳴を上げているかも知れないため、どうか労わってあげて下さい。
(飲酒もほどほどにして、喫煙を続けた同輩の姿を見ていると、すぐに止めることをお奨めします。)
「健康で長生き」するために、あなたの体のために少しだけ考えてみて下さい。
 

今度は、「トンボ」が

 
この間は「ヤモリ」が自宅に入ろうとしておりましたが、昨日は「トンボ」が玄関先にやってきました。

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捕まえて離してやったら、どこかへ元気よく飛び去りました。

毎年なら、マンションを大木と間違え「セミ」が飛んできて共用廊下にウロウロしておりますが、今年は猛暑のせいか少なくなりました。

それと、「蚊」風に乗って飛んできますが、今年は、ほとんど殺虫剤等の使用も行わないほどです。
 

新米の季節

 
まだまだ残暑が厳しい折ですが、スーパー等の店頭には新米が並ぶようになりました。
取りあえず、「宮崎産」を買いました。

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地元でも盆過ぎに収穫する米があり、JA系の直売店には置いてありました。
 

我が家に「やもり」が!!

 
この間、帰宅して玄関扉を開けようとしたら「やもり」が入ろうとして待っておりました。

Gekko_japonicus_back[1]
ネットから借用の「ヤモリ」

これが戸建て住宅なら珍しいことでも無いはずですが、我が家はマンション暮らしで地上高25m前後へ、どのようにして上ってきたか不思議です。

壁面か雨水排水管内からお邪魔しようとしたのだと思いますが、体長が僅か30mm程度の子供の「やもり」でしたが、大変な努力だったはずです。

「やもり」は「家守」と言われておりますが、入室はご遠慮して頂きエアコンの室外機付近へ誘導しておきました。
プロフィール

春駒

Author:春駒
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