今日の散歩路

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≪R社-3≫「江副浩正」(えぞえひろまさ)と言う人

 
リクルートの創業者である江副さんは、後々の「リクルート事件」で執行猶予付き有罪判決を受け、今から4年前に76歳で生涯を終えられました。

社内で「江副社長」と呼ぶ人は皆無で、ほとんどの人は「江副さん」と呼び、他にも「○取締役」「○部長」「○課長」の呼び名は聞いたことがなく、全て「○○さん」と呼び合っておりました。
但し、部課長のことを「マネージャー」と呼んでいたような気がします。

江副さんを一言でいうなら「ちょっと内向的な何処にでも見かける普通のおじさん」の感じで、本社から地方に出かける際には誰も同行せず、我々と支社ビルで出会っても「こんにちは、」と、気楽に挨拶を交わす気さくな『社長』でした。

江副さんはリクルートの前身になった、東大新聞広告代理店である「大学新聞広告社」を設立されたのは、当時の「第3森ビルのペントハウス」(屋上の倉庫)だったと思います。

外見は普通の人でも、「発想力」は並外れた持ち主だったのかも知れませんし、一度も雇用されたことはなく、「雇用」に関する起業者なったという面白い取り合わせの人物かも知れません。


 

≪R社≫不純な動機で入社

 
リクルート社には多くの社内用語があり、自分の会社を「R社」と呼んでおりました。


「R社」への入社前までは、比較的大手のビル管理会社で働いておりましたが、将来的は「自社ビル」の管理業務に就きたい希望を抱いておりました。

ある日の新聞募集広告で、「リクルートビル管理社員募集」の小さな記事を見つけましたが、聞いたことも無い社名で当時はマルチ商法が流行っていた時代だったので、同系統の会社と思いながら履歴書を送って見ました。

その後、面接の通知があったので出かけて見ると、今まで触れた事のないような会社の匂いを感じながら、採用通知を受け新築された支社ビルで働くことになりました。

しかし、入社しても何の会社か要領が得ず、「広告を扱い会社」に馴染むまでには相当の時間が必要でした。

なお、入社当時の社名は「日本リクルートセンター」で、リクルート事件の4年前の1984年に「リクルート」に社名変更されました。


 

≪R社≫このシリーズの始めに

 

最近は体調が思わしくなく何時まで続くか解りませんが、新しいシリーズを始めます。

実は私は色々な職業を転々とし、40歳頃から定年まで「リクルート」に在籍しましたが、学歴も頭脳もなく会社の本流ではなく、支社ビルの管理部門の仕事に就いておりました。

在社中の思い出は、何と言っても日本中を騒がせた、あの「リクルート事件」を味わったことで、マスコミで伝えられた内容と違う角度からの伝えることが出来れば幸いです。

現在の会社は社名を変更し上場の企業となりましたが、私にとって「リクルート」と各社員は人生に大きな影響を与えてくれました。

すでに随分前のことのため、何処まで書けるか自信はありませんが、頑張って進めますのでお付き合いして頂ければ幸いですが、順序はランダムに進めることをご承知願います。


 

梅雨明けは?

 
以前は、エアコンを凡その温湿度を設定すれば身体の方が順応したものです。

しかし、最近は温湿度を細かく設定しないと、快適に感じられなくなりました。

好まれる温湿度も、その時の体調により異なるため、都度、設定を変えることになります。

湿度は、どの住まいでも大きな変わりはなく、個人的には55%ぐらいに保つのが快適に感じられます。

今年のように気温も湿度も高い日が続くと辛く、梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。

 

自然災害の恐怖

 
九州や山陰地方で、大きな災害が発生しているようです。

近年は『大雨特別警報』が発令されるようになり京都、広島、三重での豪雨被害が記憶に残っております。

私も、1954年に発生した『伊勢湾台風』を経験したことがあります。
5,000人ほど亡くなり最大規模の台風でしたが、住んでいた所は夜中に強風が吹き、翌日の昼ごろに切れた堤防から溢れた水が溜まり、床上浸水が1ケ月も続いたと記憶しています。

地域は犠牲者が出るような被害では無かったものの、自然の恐ろしさを感じたものです。

その後、家庭を持っても頭から離れない事は水害の恐怖でした。

今から十数年まえに、戸建て住宅からマンションに引っ越しましたが、台風時も大雨になっても過度な心配は不要になりました。

また、山・がけ崩れの懸念はありませんが、災害により長期間の停電・断水や、地域が浸水すれば生活に大きな支障を覚悟しないといけません。


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春駒

Author:春駒
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